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ポプラの介護教室

介護教室(認知症について 第7回)

2021-11-28
こんにちわ。朝晩の冷え込みがますます強くなりました。
みなさん、体調管理に気をつけて下さい。

今回は『看取り』について、お話したいと思います。
ポプラサポートでは、看取りもターミナルケアも行っています。
本人とその家族の意向に合わせ、意向に添ったお手伝いをさせていただいています。

看取りと、ターミナルケアの違いを説明します。

【看取り】
無理な延命治療などは行わず、高齢者が自然に亡くなるまでの過程を見守る事。
⇒簡単に説明すると点滴も酸素も使用せず、脱水や低栄養になり自然に亡くなる事です。

【ターミナルケア(終末医療)】
医療行為を行うが、延命治療は行わない事。
⇒最低限の医療行為(点滴や酸素、痛み止め等)だけを行い、息を引き取る事を見守る事です。

では、延命治療とは何か?
人工呼吸、人工栄養、人工透析の事です。
今は人工透析は治療と言われていますが、私個人の意見では人工透析も命を延ばすための延命治療と思っています。

人工呼吸とは具体的に説明すると、人工呼吸器などの生命維持装置を使用する事です。
人工栄養は、点滴により栄養を確保、あるいは胃ろう増設により消化器に直接栄養を送り込み生命を維持する事です。

限られた生命の中で少しでも寿命を延ばすために、医学・医療は存在しています。
「延命至上主義」が医学です。ただ、現在は変わってきている傾向もあります。
若い方の治療は完治もしくは根治を目指し、元通りになる事を要求されます。
しかし、高齢者においては『尊厳死』が大切という考え方が強くなっています。

『看取り』よりも、『ターミナルケア』を希望される方がほとんどです。
何もしない事が、耐えられない思いになるのでしょうね。
欧米では、経口摂取が出来なくなると2週間で看取りに入ります。
脱水や低栄養になり、βエンドルフィンというホルモンが出て、呼吸が楽になり苦しさが減り、穏やかな最期を迎える事が出来るのです。
人工栄養の胃ろうに関しても、欧米は一早く「止めよう」との声を上げました。
認知症終末期において、経口摂取が出来なくなった際に胃ろうを増設すると5年以上寿命が延びる事もあります。
終末期なので、話すことも笑う事もない状態で延命する事に疑問を一早く感じたんでしょうね。

私個人の意見は、自分がそうなった場合、子供たちに看取りを希望しています。
ただ逆の場合だったら、やはり医療を希望してしまいます…。
大きな意味はない事がわかっていても、何かをせずに居られないと思います。
必要最低限で意味もないのでしょうが…。

では、『尊厳死』とは何か?
⇒人生の最終段階において、過剰な延命治療を行わず、人が人として尊厳を保ちながら、自然な過程に任せた先にある死の事。
尊厳死の根底にあるのは「本人の意思」です。

リビング・ウイルという言葉を聞いたことがある方も居ると思います。「尊厳死の宣言書」の事です。
私は書きとめているのですが、日本では決まった形式がないのでどんな形でも有効です。
先ほど述べた、私個人の意見は『看取り』を希望しているので点滴も酸素も希望していません。
臓器提供においても、使用できる臓器は全て使用してほしいと記入しています。
家族に決めさせるのは、酷だなぁと思っているからも本音なのですが…。

ポプラサポートでは、『看取り』においても『ターミナルケア』においても、全力で医療と看護、介護においてサポートいたします。
特にグループホームの理念は「希望を叶える」を、会社理念の「共に生きる」を根底に掲げています。
認知症で病状がある方は、いつでもご相談下さい。

最後に『尊厳死』についてお話を少ししましたが、日本では認められていませんが『安楽死』についても少し話したいと思います。

では、『安楽死』とは何か?
⇒安楽死には2種類あります。医者が患者に直接注射や点滴をして死に至らしめる場合と、致死薬を処方されて自分で内服する場合の2種類です。
後者は医師の支援を受けてなされる自殺という安楽死となります。

日本でも流れたニュースで、覚えている方も居るかも知れません。
脳腫瘍で余命半年の宣告を受けた、米国29歳女性が「恋人の名前を言えなくなる前に死にたい。」と自宅で服薬しました。
日本の報道で、「これは尊厳死だ。」と言われていましたが、これは自殺であり安楽死です。
私がスイスの老夫婦の安楽死をテレビ番組で見た時に、「素敵だなぁ」と思った事がありました。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)になってしまったお爺さんが、自宅でお婆さんに致死薬を飲ませてもらい、お婆さんに見守られながら安楽死をされました。
病院で色々な管に繋がれ、必要以上の延命をされながら亡くなるより、こんな命の終わり方がある事に目が釘付けになりました。
日本では、自殺ほう助になってしまいます。最悪は殺人ですかね。『死』は悲しい事ですが、『死に方』は一概には言えませんが、考えさせられる事が多い気がします。

私の母は統合失調症になり、トルコ鞍と呼ばれる頭蓋骨に腫瘍もあり手術は不可能と言われ苦しんでいました。
私に迷惑は掛けたくないと、最終的に自死しました。その時から、『死』『死に方』『本人の意思』『家族』を深く考えるようになり、力になりたい思いが強くなりました。
『尊厳死』が認められる今、本人も家族も納得が出来る最後を迎えられるお手伝いを出来たら良いと思っています。

長くなってしまいましたが、次回は『看取り』と『ターミナルケア』での認知症の事例をお話ししたいと思います。
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